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鉛筆の削る時の匂い。

2010年5月29日

かつて東京にいる頃、麻布十番にあるお香屋さんの香道教室に3年ほど通っていた。
残念ながら、福岡には習っていた流派がなかった為、止めてしまったが・・・。
香道は白檀などの香木を焚いて皆で当てる優雅なゲーム。
麻布十番で習いたての頃、先生が香りの記憶は言葉ではなく、場面で記憶しましょうと教わった。
”鉛筆を削った時の匂い””親父が畑仕事から帰った時の背中の匂い””教室の棚の奥の匂い”
教室で香木を聞いたとき(香道では香木を嗅ぐことを聞くという)に脳裏に出てきた場面だ。
幼い頃の言葉でなく、匂いが場面に直結している。
音楽でも場面が出てくるが、それはその音楽を聴いていた時の場面であり、
匂いの場面とは少し違う。
なぜ、10代後半や大人になってからの場面を思い出さないのか考えてみた。
幼い頃の場面は、その匂いだけでなくその時の心理までよみがえってくるような気がする。
早く棚の奥の物を取っていかないと皆に遅れる焦りとか。
鉛筆を綺麗にしないと先生が来た時に注意されるという緊張感。
いつも遊びに忙しくて焦っていたような気がする。
楽しい、わくわくした気持ちの場面と結びついたことが無いような気がする。
最近、香木でなくても何かの匂いをかいだ時に、この場面が出る様になった。
これまで無かったのに、年齢を重ね、原風景に帰ってきているのか?
いつも急いでいる人生を、ゆっくり眺められるようになったということか?
それとも単に鼻の通りがよくなったのか?
美味しい料理を食べて楽しかった思い出は、匂いと直結した場面では今も出てこない。